逃げてはいけない

大学受験生が第1志望に受からなかったとき、必然的に2つの選択肢から1つを選ぶことになる。1つは受験をやめること。もう1つは受験を続行すること。2つに1つ。センター試験における選択肢の数の多さに比べれば決断は容易いように思われるが、現実はそう簡単ではない。

 

多くの人は、少なくとも私の友人で第1志望に受からなかった人の大多数は前者、すなわち、浪人はせず、受かった大学に進学するという選択をした。それについてとやかく言うことはできないしその気もない。人生の優先順位は人それぞれだからだ。むしろ、大学合格を人生の最大の目標としてしまうのは本末転倒だろう。

 

しかし私は、高校の同級生がほとんど全員大学生になっているというのに、未だに受験を続けている。ここで受験をやめることは「逃げ」になると思った、というのがその理由の一つだ。また、普通の人が1年で済ますことでも、それよりも長い期間やった方がよいこともある。2年3年と努力をした果てに、はじめて見えてくるものもあるだろう。社会に出てからは、受験勉強で得た知識を直接使う機会はないかもしれない。しかし、真剣に取り組んだのであれば、その経験は無駄にはならないはずだ。とは言うものの、浪人を全面的に肯定するつもりはない。決して少なくない数の、受験勉強に真剣に取り組まない浪人生が世の中には存在しており、それもやはりある種の「逃げ」だからだ。

 

そして繰り返しになるが、私は受験をやめるという選択を必ずしも否定的なものとして捉えているわけではない。そもそも、浪人したくとも諸般の事情で出来ないという人もいるだろう。そして実際、進学した大学が第1志望ではなかったとしても、その後の生活で何かに真剣に取り組み、結果を残している人はごまんといるし、そういった人々のことを私は尊敬している。しかし、「ほかにやりたいことがある」という言葉はしばしば逃げにもなりうる。結果を、自分の限界を直視するのが怖い。これ以上自尊心を傷つけたくない。だから、これ以上傷つかなくて済む、もっと安心出来る場所に居たい。人は1度でも易きに流されてしまうと、その後の選択でも同じようなことをし続けてしまうと思う。ましてや人生の重大局面ともなればなおさらである。

 

浪人をすることと第1志望を諦めて大学に進学すること、これらはどちらも真剣に取り組めば有意義な経験にできるが、逆に「逃げ」にもなりうる。

 

本気で取り組んでいるのならば、その決断を恥じる道理はない。しかし、決断を下した以上は結果がついてこなくても、周りから認められなくても、食い下がらなければいけない。そうそうに逃げ出してはいけない。年上の背中ははるか遠く、同い年にも差をつけられ、年下にも追いぬかれ、もうこの地球上のどこにも自分の居場所がないように感じていたとしても、それでもしがみつかなければならない。努力を続けなければならない。そうしないと、強くなれないのだから。

 

 

 

©️2020 Giant sea urchin. このサイトには正確な内容を記述するよう心がけていますが、このサイトの内容を利用したことによって発生するいかなる損害や不都合に対して責任を負いません。