クイズその42
正しいものを(1)〜(4)から選びなさい
(1)明治末期における初等教育の就学率は50%ほどであった。
(2)文相尾崎文雄は学校令を公布し、教育体系を確立するとともに教育に対する国家の支配を決定的なものとした。
(3)学制はフランスの教育制度に学んだものであったが画一的であったため失敗した。
(4)キリスト教徒の新渡戸稲造は教育勅語への最敬礼を拒否し、教職を追われた。
解説
(1)明治末期、児童の就学率は98%以上に達した。
(2)1886年に文相森有礼によって学校令が公布され、教育体系が確立した。
(3)正文。
(4)新渡戸稲造ではなく内村鑑三のこと。教育勅語を中心とする教育は強制力を伴う形で展開された。cf.https://ameblo.jp/nojimagurasan/entry-12563709885.html